ノアの方舟

旧約聖書『創世記』の大洪水の話に登場するノアの方舟について

ノアの方舟とは

ノアの方舟の絵画

皆様も一度はノアの方舟(Noah's Ark)の話を聞いたことがあるのではないでしょうか。旧約聖書に『創世記(Genesis=ジェネシス)』と呼ばれる聖典があり、その6章~8章で語られている大洪水の話に登場するのがノアの方舟です。このノアの方舟の話はあまりにも有名なので、キリスト教に縁の無い人でも一度は聞いたことがあるはずです。日常会話の中でも、危機的状況から難を避けるための手段を指す比喩としてノアの方舟と言うこともあります。日本語においては、一般的には「ノアの方舟」と表記しますが、「はこぶね」を「箱舟」や「箱船」と書くこともあり、どの表記でも間違いではありません。また、このノアの方舟を指して、単に「方舟」と言うこともあります。

世界が悪に染まった時、神は大洪水を起こして人々を絶滅しようと考えました。そして善良な人であったノアに方舟の建設を命じたのです。そして出来上がった3階建ての大きな方舟がノアの方舟です。ノアとその家族、そして全ての動物の「つがい」が方舟に乗り、40日間続いた大洪水を耐え忍んだそうです。最終的にノアの方舟はアララト山の頂上に漂着し、ノアたちは難を逃れたというのです。アララト山はトルコ共和国にあり、現在に至るまでノアの方舟の痕跡が発見されたという証言が絶えません。

旧約聖書『創世記』でノアの方舟が登場するのは以下に引用した箇所です。

神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノアに告げ、ノアに方舟の建設を命じた。ノアとその家族8人は一生懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。

方舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。方舟の内と外は木のヤニで塗られた。ノアは方舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを方舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、方舟はアララト山の上にとまった。

40日のあと、ノアはカラスを放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて方舟に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。

ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に方舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。

—— 旧約聖書『創世記』

聖書を研究する研究者・学者の間では、このノアの方舟のエピソードは紀元前3000年前後に起こったものと言われています。

ノアの方舟とギルガメシュ叙事詩

ノアの方舟から鳩を飛ばす

前述のようにノアの方舟の洪水エピソードは旧約聖書『創世記』に登場する話ですが、実はこのストーリーがオリジナルではないという話があります。19世紀にアッシリア遺跡から発見された遺物の中に、「ギルガメシュ叙事詩」というものがあります。古代メソポタミアの伝説的な王、ギルガメシュをとりまくシュメール地方の物語ですが、この中にノアの方舟に酷似した大洪水のストーリーが発見されたのです。

シュメールとはメソポタミアの南部、バビロニアの地域のことで、シュメール人が文明を築いた最古の都市文明があったと言われています。この地域では古代オリエント文明で用いられた楔形文字による粘土板が多数発掘され、その多くは大英博物館に収められています。この粘土板が19世紀末にかけて発達したアッシリオロジー(Assyriology)によって解読され、その中にノアの方舟に酷似した箇所があるギルガメシュ叙事詩が発見されたというわけです。

アシの小屋よ、アシの小屋よ、壁よ、壁よ。アシの小屋よ聞け、壁よ察せよ。ウバルトゥトゥの子、シュルッパクの人よ。家をこわし、舟をつくれ。持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。すべての生きものの種を舟に運びこめ。おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。ウトナピシュティムがつくった舟は七階だてで、各階には九室あったようだ。七日目に舟は完成した。洪水が起こると、彼は全財産、つまり銀や金、生きもの、家族、身よりの者、職人たちをすべて舟に乗せた。すると、六日と七夜、風と洪水がおしよせ、嵐が国土を吹きまくった。七日目になると、洪水をもたらした嵐は戦いに負けた。それは軍隊の攻撃のような戦いだった。海はしずまり、嵐はおさまり、大洪水はひいた。空模様を見ると、まったく静かだった。そしてすべての人間は粘土に変わっていた。見わたすかぎり屋根のように平らになっていた。天窓をあけると、光がわたしの顔にさした。わたしはうなだれ、坐って泣いた。涙がわたしの顔をつたって流れた。わたしは広々とした海を見回して岸を探した。十二の場所に陸地があらわれた。船はニシル山についた。山は船をとらえて動かさなかった。このようにして船は六日間ニシル山にとまっていた。七日目に、ウトナピシュティムはまず鳩をはなした。鳩は休み場所が見あたらずにもどってきた。つぎは燕をはなしたが同じ結果になった。そのつぎには大烏をはなしたところ、水がひいていたので餌をあさりまわって帰ってこなかった。そこで彼は山頂に神酒をそそぎ、神々に犠牲をささげた。

—— ギルガメシュ叙事詩

このようにギルガメシュ叙事詩には、創世記のノアの方舟の話を彷彿とさせる表現が随所にあることがわかります。とりわけ、すべての生き物の種を方舟に運び込む点や、方舟が山に漂着した点、そして方舟から鳩を放して洪水が引いたことを確認した点などが酷似しており、旧約聖書『創世記』にあるノアの方舟の話が、ギルガメシュ叙事詩の洪水の件を参考にして書かれたという説がのが現在のところ有力であると考えられているのです。

また、創世記のノアの方舟やギルガメシュ叙事詩で語られている大洪水については、メソポタミア周辺で発生した自然災害や、氷河の溶解などがモチーフにされたものであると言われています。地質学などの見地からも、地球規模で水位が上昇するような大洪水は発生していないと考える学者が多いようです。

ノアの方舟の痕跡と残骸

ギルガメシュ叙事詩の石版

現代に至るまで、冒険家や宗教家、研究者や学者などがそれぞれ違った目的でノアの方舟の痕跡や残骸を捜索しています。映画で有名になったキリストの聖杯(Holy Grail)や、天からの火で滅ぼされた商業都市ソドムとゴモラ(Sodom and Gomorrah)、エデンの園などと並び、捜索される伝説として人気を誇っています。今までに多くの目撃証言やそれらしき痕跡の主張がありますが、決定的なものはみつかっていません。

  • 13世紀、マルコポーロが「東方見聞録」の中でノアの方舟の残骸について言及。
  • 1883年、アララト山付近で火山性地震があり、ノアの方舟の一部分と思わしき古代の木材建造物が一部露出。ルコ政府が調査を試みたが、崩落の恐れがあり断念。この件は世界各国のニュースで報じられた。
  • 1900年頃、アララト山周辺を支配下に置いた帝政ロシアが捜索隊を編成してノアの方舟を本格的に捜索した。この捜索で何らかの成果が収められたらしいが、ロシア革命の混乱のため、捜索した成果物が全て失われた。
  • 1950年代、アララト山の氷河に閉ざされていた120m~130mほどの規模の影が発見される。
  • 大学や研究機関に持ち込まれた、ノアの方舟の残骸の一部分ではないかと言われる、炭化しかけた木材を調査したところ、紀元前2000年~5000年のオーク材との結果が出た。ゴフェルの木はイトスギであるという説もあるもののホワイトオークであったという説もあり、年代や材質という点ではノアの方舟の記述と一致する。またこの周囲には古くからオークが自生していないことから、人工的に遠くから運び込まれた木材であることも判明している。
  • 1960年代、アララト山北東斜面にて、アメリカ空軍によりノアの方舟らしき長方形の物体の姿が何度も確認されている。
  • 2010年4月、トルコ・中国の考古学者による探検隊が、アララト山の山頂付近でノアの方舟の一部と見られる木片を発見したと発表した。炭素年代測定によると紀元前2800年前後のものと見られるらしい。

未だノアの方舟だという確証のある情報はないものの、聖書に登場する伝説の一部であるノアの方舟の痕跡が見つかるとしたら、それはとても素敵なことだと思います。